Three Months Journey.

アニメとか漫画とか小説とか、好きなものについて書きます

『この恋と、その未来。』について

 5月末、僕の元にあるニュースが飛び込んできた。

 森橋ビンゴ先生とNardackさんのライトノベル作品。「この恋と、その未来。」シリーズの打ち切りが決定した。というニュースだ。
 僕は恥ずかしながら、その時点では一巻である「一年目春」を購入こそしていたものの未だ未読だった。

 理由は様々だったが、一番は、この作品を読み進めるのは相当の精神が必要だろうと判断し、読むのを後回しにしていたのだ。

 

 まず第一にこの作品に出会ったきっかけというのは、同じく、森橋ビンゴ先生とNardackさんのコンビ昨品である「東雲侑子」シリーズのファンであった僕が、偶然書店でこの本を見かけたのだ。

 この「東雲侑子」シリーズは、「東雲侑子は短編小説をあいしている」「東雲侑子は恋愛小説をあいしはじめる」「東雲侑子は全ての小説をあいしつづける」の全3巻からなる青春ストーリーで、これはもうとてつもなく素晴らしい作品なのだが、詳しい話はまた別の機会があれば語ろうと思う。

 

 とにかくそんな前作に魅了された僕にとって、この「この恋と、その未来。」を手に取ることは最早必然ですらあったと思う。

 しかし、前述した通り、僕はそれでもこの第1巻であるところの「1年目春」をあろうことか「積み本」として放置をしてしまっていた。

 この作品はGID、つまり『性同一性障害』を扱っている作品である。
 多分、多くの人が聞いたことがあるのではないだろうか、自分の『体』の性と、『心』の性が一致しない病気である。(果たしてそう表現するのが正しいかどうかもわからない)

 端的に言うと、この物語のヒロインにあたる人物がこのGIDなのである。
 織田未来という、一見目を見張るほどイケメンが、実は女なのだ。

 体は女だが、男として扱われることを望んだ未来が男として入学した全寮制の高校、そこで彼(彼女)のルームメイトになることになる主人公、松永四郎。
 一緒に過ごしていく上で四郎は、未来の信用を得ていくのだが、しかし、四郎は自分が未来への好意を抱いていることに気づいてしまう。
 自分の秘密を知った上で友として、そして男として扱ってくれる四郎にとても感謝し、ずっと親友でいてくれ、と願う未来。その裏では未来への好意をひた隠し、未来のその願いを叶えようとする四郎。そんな2人を中心に回る青春ストーリー。
 簡単に説明すると、そういうあらすじである。

 

 誤解を恐れず言わせてもらうと、これが一般文学であったり、夜九時からのドラマのストーリーだったりするのであれば問題はないと思う。

 

 しかしこれは、ライトノベル、として作られ、売り出されている。
 ライトノベルの定義は諸説あるが、その名の通り「軽い」ものであるという認識が強い。
 その「軽い」という認識は人それぞれであってしかるべきだが、
 しかし、このストーリーは、とてもじゃないが「軽い」題材とは言えない。
 どう考えても、みんな幸せハッピーエンドなど到底難しいことがわかるし、まず主人公とヒロインという、一般的には結ばれるはずの存在の2人の未来に、期待を持つことは難しい。
 しかし、その何もかもがうまくいかない世界、等身大の人間の葛藤、苦しみの中にある最大公約数的な幸せ、のような繊細な描写やストーリーにに魅力を感じるのも確かだ。

 僕は、たまにあるそんな「軽くない」ライトノベルを心の底から求めながらも、敬遠するきらいがある。
 例をあげると「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」や「冴えない彼女(ヒロイン)の育て方」、「さくら荘のペットな彼女」などが思い浮かぶ。

 
 僕は、そのような作品を読むたびに多大な感動を覚えると同時に、かなりの精神が、削られてしまい、疲弊してしまうのだ。
 もしかしたら、僕は物語というものを楽しむときに必要以上に主人公ないし、登場人物の心情を考えてしまうのかもしれない。
 しかし、だからこそ、その物語に入れ込み、感動をできる面もあるのだと同時に思ったりもする。

 ゆえに、この物語は、自分に心の余裕があるときに、読もう。 
 そう思っていた。

 



 ……しかしそれがまさかこんな結果につながっていくなんて、思いもしなかった。
 もしかしたら、読まなくても、2巻以降を購入して売り上げに貢献していれば、とか。読んで、そしてまわりに進めて読む人を増やせば、とか。
 そうすれば結果は違ったのではないか、と考えてしまうのだ。

 

 とにかく、後悔をしたくない、と思い僕は未だ購入していない第5巻まで4冊を買い、そして読んだ。
 

 そして、

 

 5巻まで読了。せめて罪滅ぼしと、一睡もせず一気に読んでしまった。

 「面白かった。」とはとても言えない。
 そこには葛藤や憎悪、喪失と挫折、苦しみと哀しみ、そして何より、友情が描かれていた。
 果たして僕は、こんな風に誰かを想い、傷付くことが出来るのだろうか、そして傷付けることが出来るのだろうか。

 

 なるほど確かに、ヒロインは可愛くない、全体的に陰湿な空気、決して報われない恋、そしてお世辞にも誠実とは言えない主人公。
 これがライトノベルとして売れる事は、相当困難な事だ。
 ライトノベルの俗に言う売れる要素を、如く如く排除している。

 

 だがしかし、可愛くないヒロインは、友達思いでカッコよく描き。陰湿な空気は、その中にある輝きのコントラストが映える要素となり、決して報われない恋をシリアスにそしてコミカルに表現し、誠実とは言えない主人公の人間臭さが、共感を生む。

 

 そう、この作品はエンターテイメントとして大成功しているのだ。

 実際、この作品を高く評価する人は多くいる。
 「このライトノベルがすごい!2015」では、9位にランクインするほどの実力を持っている。
 ゆえに、打ち切りのニュースはかなりの人数の人間に衝撃を与えた。

 

 では、なぜそんな作品が、打ち切りという結末に陥ってしまったのか、素人の僕には到底わからないとは思うが、
 しかし、この作品のあとがきを読むと、この作品が最終巻までかける可能性が低いことが一巻の時点で語られている。
 おそらく、スタートの時点から厳しい状況だったのだろう。
 その他にも僕らには到底推測できないのっぴきならない事情もあったのだろう。


 しかし、それでも、この「打ち切り」という判断は、ファミ通文庫にとっても、森橋先生にとっても、決して賢い選択だとは、到底思えない。
 ……いや、もしかしたら、僕個人が思いたくないだけかもしれない。

 でも、ただ
 この物語は読んだ人に必ず何かを残してくれる作品だと思うし、「売れる要素」なるものがあふれている今のライトノベル業界にとても必要な作品だと思う。

 

 だから、今からでも、もし、打ち切りという事実が覆らないとしても、多くの人にこの作品に触れてほしい。と僕は考えて、こんな文を書いています。
 この打ち切りというニュースは良くも悪くも、多くの人に届けられていると思います。それを気に読む人もいるかもしれないし、僕のように、続きを読んでいない人が続きを読むために、購入をするかもしれない。

 

 打ち切りになったライトノベルが、のちに復活した例は、決して「0」ではないです。

 

 俗っぽいですが、可能性がゼロではないのであれば、僕は無謀でもそれを信じてみたいです。
 そしてできれば、森橋先生が、必ずどこかで公開します。と約束してくれた最終巻の原稿を、またNardackさんの絵とともに楽しみたいと、思っています。

 

 

 最後に、もし、こんな長ったらしい文を最後まで読んでくれた方がいるのであれば、多大な感謝を、そして興味が湧きましたら、ぜひこの「この恋と、その未来。」という作品を読んでみてください。